特集記事

多孔性材料で世界を変える

東京大学 大学院工学系研究科 応用化学専攻
齋藤 杏実 氏・宗 柏伶 氏

分子の世界をキュートに捉える若手の研究者。
結晶スポンジ法を学び、多孔性材料研究に新風を吹き込んでいる。

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雨の日のデートのように

「二人で歩いていて雨が降ってきて、一本しか傘がなかったら、一つ傘の下、寄り添って歩くじゃないですか。『入る?』って。分子も同じ。雨足を強くしたり、傘のサイズを小さくしたり、設定をいろいろ変えて傘の下に入ってくれる条件を探すんです」

 齋藤氏の手にかかると、分子間に働く力が、まるで恋人同士の微妙な心模様のようになる。

 齋藤杏実氏は東京大学 大学院工学系研究科助教。専門は多孔性材料だ。多孔性材料とは微細な穴を持つ材料のこと。その穴の形状や材質によって、分子をふるいわけたり、貯め込んだり、他の化合物に変換することができる。活性炭やゼオライトがよく知られており、我々は生活のいたるところでその恩恵に浴している。近年は穴を人為的に「デザイン」する技術が向上し、特定の分子をより分けたり、特異な反応を引き起こす研究が広がりを見せている。

 齋藤氏は早稲田大学の先進理工学部で学んでいたとき、多孔性材料に興味を持った。空気中の匂い分子を吸着したり、排気ガス中の有毒成分を無害化するなど、穴の機能を産業へ応用する研究を続けているうち、穴をデザインすることへの興味を募らせた。そこで耳にしたのが東京大学 大学院工学系研究科の藤田研究室。「世界でもっとも最先端の研究をしている」と聞き、見学に訪れた。

 そこで目にしたのが結晶スポンジ法だ。

「熱も圧力も加えず、分子が穴に吸い込まれ勝手に並んでいく。驚きました」と目を輝かせる。恋愛のたとえを借りれば、雨も降っていないのに、進んで相合傘を始めるといったところだろうか。

超分子化学の大家に“弟子入り”

 藤田教授は、超分子化学の第一人者で、特に化合物同士が自発的に集まって複雑な形をつくる「自己集合」の研究で世界をリードしている。研究を続ける中で、有機化合物の一種に金属イオンを加えると、金属イオンが「かすがい」のような役割を果たし、3次元の立体構造を作っていくことを発見した。格子状になった有機化合物は、格子のひとマスひとマスが「穴」になっていて、化合物が溶けた溶液につけると、その穴に分子がひとつひとつ吸い込まれ、まるで結晶のように規則的に並んでいく。結晶スポンジ法の名前の由来ともなった現象だ。

「集まれーと声をかけると、勝手に格子状に並んでいく。しかも、格子状の構造ができても、それがスポンジのように分子を吸い取っていくとは限りません。藤田先生は“きれいな穴”をつくるのが上手で、溶質である分子が次々と入っていく。それにも驚かされました」

 その場で、藤田研に進むことを決意し、翌4月、晴れて研究室の一員となった。

 研究室で目に止まったのがペプチドで作られた多孔質物質だ。ペプチドはアミノ酸が2つ以上組み合わさった物質で、生体内では筋肉や骨格をつくる材料として機能している。あるいは「化学反応の触媒」となることもある。水に馴染みやすいのが特徴だ。

結び目理論を解説する齋藤氏。親しみやすい解説には定評がある

 澤田准教授がペプチドを使った結晶の合成を始めており、結晶スポンジへの応用に挑戦する学生を募集していた。

「藤田教授が手をつけていなかった新しいことに挑戦したかった」という齋藤氏は、これをテーマに研究することを決めた。

「これまでの結晶スポンジは、水をはじく性質があります。疎水性の物質はスポンジに素直に入ってくれるのですが、水に馴染みやすい物質は入ってくれません」

 社会連携講座に参画していた企業研究者とディスカッションしてみると、水に馴染みやすい結晶スポンジには強いニーズがあることがわかった。例えば、親水性の物質といえば、薬品が挙げられる。製薬・創薬の場で使われれば、開発コストの大幅な削減も期待できる。

絡まりに魅せられて

 まずは、ペプチドを使った結晶スポンジの作成に取り組んだ。だがこれがなかなかうまくいかない。澤田准教授とともに当初から有望と考えていたペプチド結晶は、結晶化がうまく再現されないという大きな問題に直面した。そこで、新たな結晶スポンジの作成をねらい、ペプチドの配列を変えて試験管のなかで材料を混ぜ合わせるのだが、今度はスポンジ状にならず、どうしてもペプチドが絡まったボールのようになってしまう。

「タンパク質の折りたたみ構造のように、何度やっても同じ形ができる。篭のように絡まり合いながら、真ん中に空洞のあるボールが出来上がっていくんです」

 予想外の構造だったが、それに興味をもった齋藤氏は、研究室メンバーに加え共同研究者の数学者とのディスカッションを重ね、「結び目理論」を用いて解析した。

分子ボールの模型。複雑に絡まるペプチドが中空を作っている

「絡まり方がおもしろいと思ったんです。ひもが上下に交差する交差の数と環状に結ぶ輪の数に規則性がある。その数を増やしていけば、より大きなボールも作ることができるだろうと。そこで、アミノ酸を変えてこうやって作ればできるだろうと仮説を立ててトライ。できたときは思わず『やった!』と飛び跳ねてしまいました」

「将来的には、分子カプセルとしてドラッグデリバリーに使えるようになるかもしれません。さらに、かすがいとなっている銀イオンをはずす技術を確立できれば、全く新しいバイオマテリアルをつくることも可能になるかもしれません」と期待を語る

成果を上げ自らの力で社会実装したい

 一方、研究を重ねるうちに、当初から取り組んできた結晶スポンジを再現性良くつくる方法も見えてきた。

「試験管の中に材料を入れて、ゆっくり少しずつ混ぜ合わせるようにすると、ペプチド結晶スポンジができるんです。ちょうどコップにウィスキーとお水をゆっくり注ぐと、界面で少しずつ混ざり合っていく。そんな感じです」

 できあがった結晶スポンジに、どんな物質ならその孔に入ってきてくれるか、試していった。最初に試したのが不凍液に使われるエチレングリコール。水に馴染みやすい化合物で分子サイズも小さい。試したところすんなりと孔に入った。これはいけると感触をつかんだ齋藤氏は、以後さまざまな物質にトライ。一度で入らないものは、孔に入れる分子や溶媒の種類、溶質の量を変えて「ペプチド結晶スポンジ」の可能性を試していった。

「例えば、水には溶けなくてもエタノールには溶ける物質はあります。親水的な溶媒であるエタノールを使うことで、ペプチド結晶スポンジの可能性が広がりました。溶媒の濃度を高めるのも効果的でした。溶液中より、スポンジのなかのほうが居心地が良いのか、分子がすっと入って行きました」

 2020年、齋藤氏は一人の後輩と一緒に研究することになった。中国からの留学生で学部4年生(当時)の宗柏伶さんだ。宗さんにペプチド結晶スポンジの手法を伝授しつつ条件をさらに検討し、徐々に大きい分子に挑戦した。

「ペプチド結晶スポンジは、、水に溶けやすい化合物の構造解析ができるだけでなく、キラリティのある化合物の右手と左手の対となった混合物から、右手だけ、あるいは、左手だけの化合物を選択的に吸い込ませることができまする。メントールのキラリティを構造解析により決定できたときは、興奮しました」

 と笑みをこぼす。

宗柏伶さん(左)と齋藤氏

 これらの成果をまとめた論文は大学、学会で複数の賞を受賞(*1)。気鋭の研究者として名乗りを上げた。

 大学院後期課程を修了後はアカデミアに残ることを選択。現在は、東京大学 大学院工学系研究科の植村卓史研究室に所属し、多孔性材料と高分子を複合化した新しい材料研究を進めている。社会連携講座で出会った企業研究者から刺激を受けて、大学から社会へ貢献する意欲も持っている。これまでに学んだ構造解析の技術に基づいて、将来は多孔性材料を用いた新しい研究を突き進め、自らの力で社会実装するところまで持っていきたいと話す笑顔に曇りはない。

*1
[発表論文]
Ami Saito, Tomohisa Sawada, Makoto Fujita
“X-ray crystallographic observation of chiral transformations within a metal–peptide pore”
Angew. Chem. Int. Ed. 2020, 59, 20367–20370.
[受賞歴]
2020年 錯体化学会第70回討論会 学生講演賞 (Inorganic Chemistry Frontier賞)
2020年 第10回CSJ化学フェスタ 博士オーラル賞
2020年度 東京大学 大学院工学系研究科 研究科長賞

齋藤 杏実

齋藤 杏実

東京大学 大学院工学系研究科
応用化学専攻 助教

錯体化学の研究に携わったのち、2021年東京大学 大学院工学系研究科助教に着任。2016年〜2020年の5年間、東京大学 大学院工学系研究科藤田研究室に所属し、東京大学社会連携講座の学生メンバーとしてペプチド結晶スポンジを開発した。
博士(工学)

宗 柏伶

宗 柏伶

東京大学 大学院工学系研究科
応用化学専攻 修士1年

2020年、東京大学 工学部藤田研究室に加わる。ペプチド結晶スポンジの研究に取り組み、東京大学社会連携講座の学生メンバーとして研究や学会発表に取り組む。
学士(工学)

メンバー
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